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古くから高い山、険しい峰には、さまざまな神が宿り、その神を求めて山中深く分け入り神に仕える者がいた。そして箱根山には古来から多くの神々が存在しており、山の霊場に参拝する人々も現れた。
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| 箱根神社参道 |
天平宝字元年(757)朝廷の命により、箱根山に万巻上人(まんがんしょうにん)という僧侶が、さまざまな神を統一するためにやってきた。
上人は旧来の箱根の神々の信仰と仏教、とりわけ修験道とを融合させた。
「筥根山縁起并序」(はこねさんえんぎあわせじょ)の伝えるところによると
「万巻上人は、駒ケ岳で三年間の苦行の末、夢に駒ケ岳の神仙宮(駒形権現)など三神のお告げを受けて、この三神を箱根権現としておまつりした」という。
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| 箱根神社(箱根町元箱根) |
権現とは神様だが、それは日本での仮の姿で、本来は仏、菩薩なのである。
このとき、古くからの信仰と摩擦があったようで、芦ノ湖の「九頭龍伝説」には「芦ノ湖にすむ九つの頭を持った毒龍が荒れ狂っていた。
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| 湖上の鳥居 |
万巻上人像(箱根神社所蔵)
写真提供 箱根町教育委員会 |
万巻上人は法力をもって毒龍を調伏し仏教に帰依させ、手厚く祀り、湖水祭をしたりしてこの神を慰めている」という。
伊豆権現も、箱根権現と同じように多くの山岳仏教者や修験者が入峰して修行を積んだ霊場である。
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| 伊豆山神社(熱海市伊豆山) |
伊豆山権現の由来については、諸説があるが応神天皇のころ、相模の海岸に一つの円鏡が出現し、ある時それが日金山(ひがねさん)頂上に現れたのでこの鏡を奉祀した。
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| 修験者役小角像(伊豆山神社) |
次いで仁徳天皇のころ、走湯(温泉)が湧き出て多くの人を救ったので、その地に日金山の神霊を移し鎮座したのが伊豆山権現であるという。
その後多くの仙人が現れたが、文武3年(699)修験者役小角(えんのおづぬ)が走湯山に草堂をつくり修験道の大霊場にして大きな勢力をもつようになった。
このように仏教の各宗派が民衆の間に広まっていくと人々の間では、極楽と地獄の対立が深く考えられるようになった。
地獄にたとえられた箱根周辺には、三途の川、血の池地獄、賽(さい)の河原など地獄に関する地名が多い。
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| 元箱根にある賽の河原 |
人々が地獄を越えるのは大変である。そこで賽の河原に、たくさんの地蔵を祭り、人々に希望を与えたのである。
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磨崖仏(六地蔵、明治期の撮影)
長崎大学付属図書館所蔵 |
このように箱根山には、山岳信仰と仏教が一体化して信仰され、多くの人々が山に分け入り、あえぎあえぎ霊場に赴いた。そして修験者と大衆によって道は次第に整備されていったのである。
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